浄土真宗についてお坊さんの説法をしっかり聞いたり、自らお経や書物を読み込んだりして信心を固めた人は門徒さんの中にも何人かいらっしゃることだと思います。しかし、その信心については、なるべく心の底に押しとどめてあまり回りにひけらかさないようにした方が良いかもしれません。
旅行で浄土真宗の寺院を訪れた時や、近所で法事があった時などでも、人目を憚らずにさも信心があるかのように大袈裟に振る舞うのはいかがなものでしょうか。
親鸞聖人は確かに「信心を得た人は如来と等しい」と述べたことがあります。だからといって、見せびらかすのは筋が違います。それが仏の振る舞いなのかというのもありますが、あなたの隣にいる人も信心を得た人なのかもしれないということを見落としているのではないでしょうか。
また、阿弥陀仏以外の如来や日本古来より土着の神々に対して無礼をはたらくのも当然アウトです。抵抗がある方もおられるかも知れませんが、天皇についても同様です。
これらは最終的には阿弥陀仏にも通じていく存在であるからです。全ての神々は阿弥陀仏が方便として姿形を変えて出現したものであり、その功徳も元をただせば阿弥陀仏を原点とするものです。
また、日本古来からある八百万の神々や天皇をないがしろにするような人が、同じように大昔から受け継がれてきた阿弥陀仏や本願の教えを深く信じることができるなどというのは非常に奇妙ですし、烏滸がましいことです。
そもそも、浄土真宗の教えは、あの世および内においては仏法を重んじ、現世および外に対しては王法たる国家の法律や世間一般の仁義礼節を重んじるべしという立ち位置で説かれています。
仏法と王法のどちらかが優れているというものではないのです。両者は決して重なるものではなく、それぞれに異なった大事な役割があるのです。片方を選んだらどちらかを捨てられるというものでもありません。よく「悪人正機」と言われますが、これはそういうことなのです。

